2008年03月27日

アンドリューワイエスを見て感じたこと

アンドリューワイエス、アメリカの画家
きっとポスターになっている 「クリスティーナの世界」などは
目にされたことがあると思う。
最近、まとめてアンドリューワイエスの作品を観る機会があったときに強く感じたのだけれど、
対象の本質を見続けているというか 意識がぶれていない のだな と感じた。
私自身は絵に対してコメントを言うだけの知識がないのだが ただ感じたというだけことなのだけれど・・・

この何か対象物や それのもつ本質的なものに対して
ぶれずに見続けるたり 続けたりすることは 易しくはないけれども
もうこれ以上できない という壁を越えたときに
必ず新しい何かを掴む気がする。

私の仕事であるダンボールの事についても
一見もうネタは出尽くしたように見える。
A式の箱などについては量産するための機械も決まっているし、
改良の余地がないように普通は見える。
しかし、そこで ぶれずに 見続ける。
それには根気が要る
普通なら、なにか他にもう少し簡単にできることが見つけられそうに思うし 他に目を向けたくなってしまう
その方が楽だからね。
でも、ダンボールを見据える
ぶれないで 追求しようとする。
それを続けていると ある時 壁を越えて
新しい事、より深いことに 気づいたり 解決したり 違う価値を発見したり出来る。

そういう事は どんな仕事にも当てはまるのではないだろうか。

簡単な会議にしても ぶれずに テーマを正面から見据え続ける
それが大切と思う。

ここで 「物事に正面から見据える」という事をさらに掘り下げたい

大抵、テーマを解決したように思えても それは正面から解決したというよりも
本質的問題から意外に逃げていることが多い。
近くに見つけられる簡単な答えに逃げてしまいがちなのだ。
最初に掴んだ簡単な答えで満足してしまいがちなのだ。

例えば、ある道に穴が開いていたからそれに落ちて怪我をしたという現象があったとする。

怪我をしたから絆創膏を貼るのではなくて

怪我をしそうな所に看板を立てるのでもなく
回り道をするようにするのでもなく。

穴を埋めるのも 向き合っている気がするけれども

穴が出来ないような道にする方法もあるけれども

さらに本質に向き合い
怪我そのものを自動的にしない方法にまで考え 向き合うというのかな。

初心貫徹とは違う、もっとリアルタイムなしかも、向き合い続けること
どちらかというと にらめっこ に似ているかな(笑)

答えはスグに出ない ずっと出ない、しかし、ぶれずに 見続ける、考え続ける。

壁を1つ、1つと破ったり 乗り越えたりはしているのは わかる。

それが 今を生きるっていうことなのかな。


posted by 箱職人 at 16:47| 埼玉 ??| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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